〜アルバム『NEW TOWN STREET』発売記念〜
Talk & Live 番外篇
2008/12/31(1部) TOKYO FMホール (1/2)
はじめに。
今回も第1部(カウントダウン)、番外篇1本目と連続公演なので、感想中心でいきたいと思います。
特に第1部は、フォークソングが流行った当時の時代背景が主だったため、いつも以上に記憶が飛んでます(苦笑)
第1部の木根さんの衣装は、12/11に東京で行われたフォークパピリオンの、
アンコール(かな?)と同じオーバーオール姿でした。
木根さんFC会員の方は、オフィシャルの写真をご覧ください←丸投げ(笑)
第1部が終わったあと、猿王(サルキング)のコントに参加した時は黒のフォーマル、
番外篇1本目は『Talk&Live Vol.11』渋谷公演と同じシルバーグレイのジャケットに、
水色に近い薄い色のジーンズ、ボルドー系のカッターシャツと、3回衣装チェンジしてました。
こちらもFC会員の方はオフィシャルに写真がupされているので、そちらをご覧ください(苦笑)
木根さんのライヴで、こんなに衣装を替えたのは久しぶりだったせいか、
「木根さん着替え忙しそう」とか思う始末。(←感想間違ってませんか?)
番外篇は、『T&L Vol.11』の白Yシャツとの組み合わせの方が、好きかな。
・・・話がズレました。
COUNTDOWNのテーマは、前出のフォークパピリオンで気を良くした(苦笑)木根さんによる、
フォーク(年代順にフォークを学ぼう)講座でした。
ちなみに本篇中に木根さんがタイトルを言っていなかったので、名前は適当です(苦笑)
前座
blogにも書きましたが、COUNTDOWN LIVEが始まる前に、猿王のコントが30分ありました。
音楽を盛り込んだコント、でいいのかな?
出てきて早々福島さんが、まだ楽屋にいるであろう猿王のメンバーに、
「今日は思いっきりアウェーだよ!」と叫んでいたのが忘れられません(苦笑)
(確かに最初はそれっぽかった(苦笑))
↓次から第1部。
オーバーオールは必須
木根「この間、フォークパピリオンをやって、なんか好評だったみたいだから、
今日はみんなにフォークを勉強してもらおうと思って。
フォークと言ったら、やっぱりオーバーオールでしょ?」
徹貫「よく木根さん、"ウツの上をハモって30年"とか言うじゃないですか。
僕は木根さんの話を聴いて、もう何十年(20年だったかも)です」
木根「そう。僕の話をずっと聴いてもらってるの」
徹貫さん不満げ?(苦笑)
徹貫「誰が木根さんに"フォークパピリオン"が良かったと言ったのか知りませんが、すごい自信でしたからね。
本当は○○にしましょうって言ったんだけど、"フォークがいい"って言い切りましたからね」
徹貫さんが何にしようと言ったのか・・・orz(汗)
木根「もしフォークパピリオンで全国回ることになったら、
"あ、あの曲はあの時やった曲だ"って判って欲しいじゃない」
フジイホシタカシ
木根「フォークパピリオンの時にウツが着ていたオーバーオール、徹貫が買ったんだって?」
徹貫「この間(やったフォークパピリオンの時)、ウツさんもオーバーオールを着ていたじゃないですか。
あのオーバーオール、ウツさんに"徹貫、衣装係ね"って言われたんで、
僕が買いに行ったんですよ。だから(ステージを)見てびっくりした」
木根「ウツにそれを言ったら、何か言われたんだって?」
徹貫さんが宇都宮さんに「それは藤井☆隆の衣装ですよね?」的なことを言ったら、
「俺がリーダーだからいいじゃん」とか、そんな言葉が返ってきたそうです(苦笑)
木根「あれは藤井☆隆("フジイホシタカシ"と読むらしい)の衣装?」
徹貫「そうです」
木根「あ。藤井☆隆を知らない人いる?」
どうやら若干名、知らない人がいたらしく。
木根「いるんだね。説明して」
徹貫「僕と宇都宮さんのフォークを歌うためのバンド(グループ?)なんですが、宇都宮さんは、一切歌いません」
1965年から順を追っていく予定でした。
木根「今日のために、徹貫がいろいろ調べてくれたんで、」
徹貫「フォークの歴史を1965年から順を追って紹介していきます」
徹貫「木根さんは何歳ですか?」
木根「8歳だから小学生だね」
まず西暦何年かというのをあげて、その年の時代背景とフォーク界の状況を説明し、
歌う曲を紹介して曲、という流れで進んでいきました。
後半にいくにつれ、時間が足りなくなって、飛ばしがちになるんですけど(苦笑)
徹貫「1965年は、日本に初めてシンガー・ソング・ライターが登場した年。
それは、加山雄三さん。彼が一番最初に詞も曲を作って歌を歌った人」
木根「日本のシンガー・ソング・ライターは加山雄三さんが最初なんだよね」
『君といつまでも』(加山雄三)
・・・ピアノで弾き語り。
木根さんも話していましたが、音域が広いせいか、すこし歌いづらそうでした。
加山さんの60周年のアルバムに参加しているので、その曲で来るかなと思ったのですが、
「その年いちばん売れた曲」とのことでこの曲になったようです。
基本的に、曲は1番のみでした。
徹貫「これは歌いやすいんじゃないですか?」
木根「そんなことない! これは上から下まで(手を上下させて音域の幅を示しながら)幅が広いから大変。
歌が上手い人でないと歌えない」
徹貫「それは自分がうまいっていうことですか?」
木根「そういう意味じゃない。歌が上手い人じゃないと歌えないから、僕じゃダメって言いたかったの」
木根「実は(この歌)、なめてた。楽勝だと思ってたんだよ。
歌う前に練習するじゃない?
これは前日にちょこちょこってやれば大丈夫だって思ってたんだけど、歌ってみたらすごい大変だった」
1966年と1967年
『バラが咲いた』(マイク真木)
・・・これが2曲目だったと思います。
こちらはアコギで。
木根さんのライヴのラインナップには上がらない曲なので、聴いていて新鮮でした。
徹貫?「売れましたが、これは職業作曲家が作った曲なんですよね」
木根「だからかな。売れているのは知っていたけど、この曲は僕はひっかからなかった」
『帰ってきたヨッパライ』(ザ・フォーク・クルセダーズ)
・・・元歌どおり、木根さんの声にエフェクトかけて、曲の再現。
これは1番だけだったか2番まで歌ったんだったか・・・。
エフェクトがかかっているせいで、木根さんがなんて歌っているのか判りにくかったのが残念。
メロディは知っていても、さすがに歌詞までは知らないです←生まれてない(苦笑)
木根「これを普通の曲って言っていいかって加藤(和彦)さん(たぶん)が言ってたけどね。
"あれはコミックソング"だって」
木根「フォーク・クルセダースに坂崎さん入っちゃったからね。
なにがびっくりしたって、坂崎さんから、"僕、フォーク・クルセダーズに入ったんだよ"って聞いた時。
アルバム作って、ツアーも参加しちゃった訳だからね」
1970年
『イメージの詩』(よしだたくろう)
・・・「'69年飛ばしてもいい?」と言って歌い出したのがこれ。
いきなり木根さんの演奏と歌に気合いが入りました。さすがです←?(苦笑)
1969年を飛ばしたのは時間的理由だと思われますが、この曲は木根さん的に外せないですよね。
木根「よしだたくろうさんって、その当時"テレビには出ない"って言っていたんだけど、
それが格好良いっていう時代だったんだよな。
僕らはその影響を受けて、TMは最初テレビに出ないってことをやってた。
僕らは結構好きだったんだけどね。特にリーダーは大好きだった」
木根「今日は大晦日だけど、日本レコード大賞をTM、辞退したことがあった」
徹貫「それって、その頃のマネージャーの人が拓郎さんを好きだったからじゃなくて?」
木根「影響? 受けてたね。"そういうちゃらちゃらした賞はもらったらいけない"って」
徹貫「そしてこの年、『あしたのジョー』の放送も始まってるんですね」
放送開始は1970年、フジテレビ系だったようです(参考:ウィキペディア)
徹貫「『あしたのジョー』を知っている、」
言いかけた徹貫さんを遮るように。
木根「『あしたのジョー』はさすがにみんな知ってるでしょ。『あしたのジョー』を知らない人いる?」
ここも若干名手を挙げている人がいました。
木根「やっぱりほとんどの人が知ってるんだね。
あれはボクサーの漫画だったから、男性の方が夢中になっていたと思うけど」
『あしたのジョー』
・・・オープニングテーマなのかエンディングテーマなのかは判りませんが、これも1番だけ。
尾藤イサオさんが歌っていたものらしいです。
これもすごい新鮮でした。
徹貫「僕、木根さんの歌う『あしたのジョー』好きですよ」
木根「シングルにしてもいいよ?」
徹貫「シングルじゃなくてもいいです」
1972年
徹貫「木根さんは、ちなみに誰が好きでしたか?」
木根「僕の友達はアグネスチャンとか浅丘めぐみさんとか」
徹貫「友達の話はいいですから、木根さんの話をしてください」
木根「中学の頃かな。いまだに憶えてるよ。
透明なクリアファイルに、浅丘めぐみ(だったと思う)の切り抜きを入れてたの。
その30年後(25年後ぐらい?)、ラーメン屋(だったかな?)で偶然出逢うんだけどね」
徹貫「友達の話はいいですから! 木根さんは誰が好きだったんですか」
木根「桜田淳子」
自分が好きだったアイドルを言う時だけ、すっごい小声でした(笑)
たぶん、ほとんどの人が知っているんじゃないかと・・・
徹貫「この曲(『瀬戸の花嫁』)聴くと涙出てきちゃうんですけど、変ですかね?」
木根「いや、いい曲だと思うよ」
『瀬戸の花嫁』(小柳ルミ子)
・・・これも木根さんが歌うのは珍しい曲というか。
でも、正直、あまり印象が・・・(苦笑)
徹貫「これに影響を受けて作ったのが『嫁ぐ日に』でしたっけ?」
木根「そう。『嫁ぐ日に』は『瀬戸の花嫁』の影響を受けて作った」
徹貫「高校生が森昌子に歌ってもらおうと思って作った曲?」
木根「これ、"お母さん、♪"ってひとりで歌っている時に後ろからウツが入ってきて、
でも録音してるって判ってるから何も言わないわけ。
(自分の背後に)母親がいると思ってるから、母親だけじゃと思って"お父さん"って歌ったら、ふって笑われた」
1973年
徹貫「この年に井上陽水がデビューしている訳ですね」
木根「ウツは井上陽水とか聴いてたよ。ユーミンの『ひこうき雲』とか。
僕はかぐや姫とか吉田拓郎とかそういう泥臭い(?)ものを聴いていたけど、
ウツはもっとスタイリッシュな方を聴いていた」
木根「『ひこうき雲』はウツにレコード借りて聴いた」
徹貫「よく貸してくれましたね」
木根「ウツの前でレコードの針を適当に落として傷をつけたから、
"木根には絶対貸さない"って、その場で言われた」
『氷の世界』(井上陽水)
・・・こちらも気合いが入っていました。
判りやすいって言うか、なんていうか(苦笑)
藤井「藤井☆隆でも『氷の世界』やりました」
木根「ウツ、弾いたんだ」
藤井「最後、"氷の世界〜♪"で裏返るじゃないですか。
そこを普通の声でやってってウツさんに言われて、"氷の世界〜♪(裏返さずギリギリの声で)"って」
木根「それ、遊ばれてるだけだよ」
最初は嫌がっていたんですよね
徹貫「ダ・カーポの『結婚するって本当ですか?』(だと思います)をやってくださいって、
(木根さんに)リクエストしたら、却下されましたから。
あの曲は有名だし、やったらどうかなって思ったんですけどね」
木根「サビは知ってるんだけど、まさかああいう作りになってるとは思わなかったんだもん。
練習するにも時間がなかったから」
サビ以外、まったく知らなかったらしいです(苦笑)
木根「H2Oの『思い出がいっぱい』もすごく好きなんだけど、
ほかの部分がああいう風になっていると知らなかったから」
徹貫「じゃあ、80年代は次の機会にやりますか」
木根「次の機会?」
徹貫「来年」
木根「来年の話をするのはやめようよ」